駅まで3分 ちょっと近過ぎたよな
2回洗濯して、お昼ご飯のオムレツ作って、マツエクして、夜ご飯のあんかけ焼きそば作って、掟上今日子なう!
明日は朝からバイトだから、早めに寝なきゃだー!
人を変えようとするのは傲慢である
私が大学に入って学んだことは以下の2点である。
・男はどうしようもない。
・人間は変えられない。
我ながら、これしか学んでいないとは、なんとも悲しい大学生活だが、社会に出る前に痛感できて良かったとも思う。これらは主にサークルの同期の男子が身をもって証明してくれたことだ。
私の周りの環境がそうだったのかもしれないし、一般的とは言えないが、女性は場の空気を重視する傾向がある。だからこそ、みんなで一つのことを成し遂げようとするときに、適度の差こそあれ、皆が協力する。そこで、同じ方向を向いていないと、空気が読めないというレッテルを貼られ、距離を置かれるのだ。女性社会で重要なのは、はみ出さないことである。しかし、誤解を恐れずに言えば、男性はそこまで和というものを大事にしていないと思う。
サークルの男の子たちが、仕事をしてくれなくて、一度私がブチ切れたときに、反省の色さえ見せず、開き直った彼らを見て、男はどうしようもない、そして人間は変えられないと悟ったのだ。
昨日またしても人間は変えられないと思う出来事があった。私のバイト先の店長は、店長の素質がなく、理不尽で自分勝手な人である。先日、新しく入った派遣の方が主に店長が理由で辞められることになったが、そのことに関して、店長がまた余計なことを言ったらしい。そこで、古参の派遣の方が、店長に懇々と言って聞かせたらしいが、私ははっきり言ってそうすることの意味はないと思っている。店長は永遠に理不尽なままで、新人の人に対してはああいう態度しか取れないだろう。自分が気づいて直そうとしない限り。
人が間違ったことをすると、どうしてもその人のために直してあげたいと思ってしまう。軌道修正してあげたいと。しかし、それが間違っていると判断するのは、こちらのエゴである。その人にとっては正しいことなのかもしれない。それを変えるのは、こちらの労力の無駄遣いである。
過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる。
なのである。
仕事では男女平等を叫んでも、恋愛ではリードされたいという矛盾
奥さんには専業主婦になって欲しい。
内定式後の懇親会で同期の男の子が放った言葉である。今の社会が男女平等とか共働きを叫んでいる風潮の中で、初対面の同期の総合職の女子に、このセリフを言うのは、何も考えてないからこその本音なのだろうか。
フェミニストを装うことは簡単で、その方が女性にも支持されると思う。世の中に専業主婦になりたい女性がどれだけいるのか分からないし、私は働き続けたいと思ってるから考えが偏ってるのかもしれない。だけど、専業主婦になって欲しいというセリフは下手したら、亭主関白的な考えの持ち主で、男は仕事女は家という前近代的な偏見を持っていると思われかねない。その上で、フェミニストを装わずに専業主婦になってほしい、むしろ専業主婦になって欲しいと考えている自分こそが、女性に優しくて理解ある男性であるかのように振舞ってる彼らについて色々と考えてしまった。
私は専業主婦を毛嫌いしてるわけではない。母は長年専業主婦だったし、何故これほどまでに専業主婦になって欲しいという言葉にとらわれてるのか自分でも分からない。
しかし、私もまた自分の中で矛盾を抱えているから、人のことをとやかく言える立場ではないのである。仕事では男性と同じように評価されたいと思いながらも、恋愛面では男性にリードされたいと思っている。エスカレーターで先に乗らせてもらったり、無理しないでねと言われたり、女の子扱いされることに嬉しく思ってしまう。なんともジェンダー論は難しい。
私は私で、君が仕事をするのを応援してる。でも辛くなったらいつでも辞めていいよ。と言ってくれる人と結婚したいって思ってるし。やっぱり矛盾してる。
普通な人なんていない
あなたは変わっていると言われた。
人との接点が多い方ではないので、自分に対する評価を下されることもないのだか、2回続けて別の人に変わっていると言われると、さすがに思うところがある。
私の持論は、人は皆変わっているというものだが、わざわざ人に対して、あなた変わってるねなどとは言わないので、自分がいざ言われてしまうとなんとも言えない気持ちになるのだ。
変わっているというのは決してマイナスな意味ではなく、個性的ということで、良いことなのかもしれない。元来目立たないように生きるをモットーにしている私としては、個性的というラベルはかなり迷惑なのだが。
今日は久しぶりに大学の友達と会う。おまけ感がハンパないけど。もうちょっと遅れていくことにすれば良かったかな。ま、考えても仕方ないし!!!誘われるうちが華ですわ。
片想い
私は基本的に好意を寄せてくれる人に好意を持つ。男女関係なく、私に興味を示してくれる人を好きになる。つまり、
かなりチョロい。
この人私のこと好きなのかもっと思った瞬間に、その人のことが気になりだす。プリンセス願望も強いので(笑)、ちょこっとエスコートされた日にゃ、イチコロ。死語かな。
だから、あの人のことも、簡単に好きになった。優しくされて、相談に乗ってくれて、好きにならないはずがない。しかし、私たちには壁があった。
歳の差
という壁が。あんまり書きすぎると身バレしそうだから止めておくけど、とりあえず、親には紹介しづらい年齢差でしたとだけ記しておこう。それ以外は本当に、理想の人だった。包容力もあり、頼もしく、話していても楽しい。
一時期は本当に恋してた。西野カナの曲を聴いたり、どんな服で会いに行くか悩んだり。でも、恋は散った。届かぬ恋だった。
その人を笑わせるのが好きだった。笑顔も、男らしい手も、背が高いところも。少しひねくれてる考えを持ってるところも、優しいところも、プライドが高いところも。趣味が似ているところも。記憶力がいいところも。話を聞いてくれるところも。ちょっと周りをバカにしているところだって、えっ?て思ったけど、でも嫌いになれない。恋って本当に盲目になる。他の人だったら絶対嫌になるような部分も、好きな人だと好きなところに変わるから不思議だ。
もう会わないと誓ったけど、また会うことになりそう。でもそのときは、先輩と後輩というかたちで会おうと思う。変な期待は抱かずに。私は恋すると、本当にそのことしか考えられなくなってしまう。今は精神的に安定してるから、誰かに頼りたいという気持ちもないし、とりあえず仕事に邁進しようと思う。まだ働いてないけれど。でも、やっぱり恋したーい!!
私とMr.Children
私は基本的に洋楽を聴く。それは中学生の頃からで、勉強する時はいつも洋楽か映画のサウンドトラックを聴いていた。パイレーツオブカリビアンとタイタニックのサントラは、英語の単語帳を書く時にぴったりのBGMだった。
そんな私がMr.Childrenを最近聴くようになった。というのも、ちょっと前まで片想いしていた人が好きなアーティストに挙げてて、聴いてみたらハマってしまったという訳だ。就活中はその人のことを想いながらずっと聴いていた(就活に集中しなさい)。その片想いは、現実的なかたちで終わってしまった。が、私のミスチル熱は消えなかった。ここで、ファンの方には大変恐縮だが、意味もなく、お気に入りの曲をあげていこうと思う。
第5位 幻聴
新しいアルバムから一曲。この曲の爽やかさが好き。歌詞も好きだけど、音楽が好きかな。前向きな気持ちになれる。
第4位 Everything (it's you)
ステーイという箇所を何度聴いたことやら。静かなイントロから始まり、でも溢れる想いを唄った一曲。守るべきは君とか想ってくれたら泣ける、ほんとに。
第3位 365日
今でこそ聴きすぎて、最初の感動が薄れてしまったが、初めて聴いた時に1番インパクトがあった曲。こんな優しい気持ちの曲があっていいのか。こんな風に愛されたら幸せだなぁとしみじみする曲。
第2位 抱きしめたい
愛されたい願望が強いのかもしれぬ笑。曲の背景を知って、悲しい気持ちにもなったけれど、でも大好きな曲。こんな風に想われたら本当に幸せですね。
第1位 Replay
不動の1位はこの曲。ミスチルが好きという子は知らなかった。1993年だから当たり前。私の世代が生まれた頃の曲である。もう私はこの曲の爽やかさに惚れた。大好き。就活で、面談やら面接の直前はこれを1回聴いて、向かっていた。短期バイトのときも、休憩のたびにこれを聴いていた。お陰で、再生回数はトップである。
他にも、たくさん好きな曲がある。私が急にJpopを聴くようになったもんだから、しかもそれが普段聴かない男性アーティストの曲だから、家族は訝しがっているけれど、これからも聴き続けるぞ♡
大学受験について
自分が受験勉強をしていたときは、とりあえず良い大学ということしか考えていなかったけれど、就職活動を経て、大学受験も就活の一環だったのだと今更ながら気づいた。私は女性だからあまり学歴は気にしないし、むしろ学歴コンプレックスがある男性は見ていて痛々しいと思うけれど、男性からしたらきっと大きなことなんだろう。
頭の良さって遺伝はもちろん、親に左右されると思う。頭が良い親の子は、地頭的にも頭が良いんだろうけれど、頭が良い親は教育にも熱心で、それこそ小学校や中学校から受験させたりする。もちろん、教育に熱心であっても金銭的に難しい家庭もあるのだろうけれど。そういうふうに、親が用意してくれたレールを順調に進み、その上で勉強という努力をした者だけに、所謂良い大学とされる大学への合格が言い渡されるのだと思う。
嫌味かもしれないけれど、私より偏差値的に低い大学の男の子がつっかかってくるというか、大学どこそこだもんね〜という話をしてくるのには、ほとほとうんざりさせられる。あ、そこ行きたかったところだと言われても、どうしようもない。高校生のとき勉強したの?当たり前でしょ、ずっと勉強してたわ。って感じ。高3の記憶はあんまりないけど、とりあえず毎日勉強してました。努力は報われるって本当だと私は思うよ。なんだろうな。みんな身の程知らずというか、就職活動のときも思ったけど、自分が行きたいところというより、自分が行けるところってのを見定めないとダメなんじゃないかと思う。これは私も含めてだけど、もっと客観的に自分を見つめなきゃいけないですね、ホントに。
なんとなく気づいてたけど、友達のFacebookの文体と似通ってる気がする。
嫌だ。